2008年1月3日木曜日

違和感のあるコミュニケーション

このことについて、まじめに考えたことはない。
そこで、ここ2年ずっと自分の中に感じるこの違和感について今考えてい見ることにした。

何に違和感を感じるのか、以前の自分はもっと自然に人と話していたと感じることからくる違和感。
これはなんだろう。よく思うのは、見栄。ひとによく思ってもらいたいがための見栄これが自分の話し方に違和感を覚えさせる。さらに考えて思うのは、考え過ぎ。そう思って考えるがあまり発言の機会を逃したり真意が伝わらなかったり、面白くない。
考え過ぎのもうひとつとして、話している最中に自分の意見の矛盾に気がついてしりつぼみになる。もしく話さなくなる。時に圧倒的な知識が自分に足りないと感じる。ちょっと前まではそんな知識必要なかった。テレビや本を読んで得た刺激を次の瞬間からそれまでの自分の経験から消化していた大学時代まで。今はいろんなことに疑いを感じる。知識の吸収速度。これは不完全に無頓着な過去と不完全が許されにくい現在の違いなのかもしれない。
といろいろ書いたけど、こんなことは全く関係ない気がしてきた。

やっぱり、素直で心開いたコミュニケーションができることが大事だと思うから、自分に足りないのは考えすぎないこと。あとは、自信。

あっ。これかもしれん。自信が今の自分には足りないんだ。

インド一人旅という道を進んだところからある種の自信を喪失したと感じる。
これは錯覚だ。だけど、この錯覚が困る。わかってるつもりだけど、わかってない。これを克服するためにも何かの自信が自分には必要。なんてそんなもん必要ねー!そんなこといってるのは下らんからさっさとできることやれよ。

もう一つ大事な人がいること、これも大きいのかと思う。
自分一人の問題がそうではなくなる。
もしかしら、この人に恥じないことこれが僕の今の壁かもしれん。

自分の価値観点だろー?

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